義父の山の恵み ー義父から学ぶことー
2016年 04月 18日
先週末で期間限定の仕事が終わり、次の仕事まで少し長い休み。嬉しいなー♪
と、思っていたら土曜の夜に合格がわかり、
日曜の朝にはさらに嬉しいご褒美みたいに、筍とたらっぽ(たらの芽)が届いた。
筍の切り口には水分が飛ばない工夫がしてあり、たらっぽは通気性のある袋に丁寧に入ってた。
口数の少ない義父の、息子への愛情を思うと涙が出た。
これが本当の愛。お金じゃないんだよなー。ってしみじみ感じた。
少しの油揚げと一緒に炊いた筍ご飯。米はもちろん義父の田んぼのもの。
たらっぽの天ぷらは、揚げたてのつまみ食いが一番美味しい(^m^)
筍のオーブン焼。皮ごとホイルに包んで210度で1時間ほど焼いた。ホクホクシャキシャキ美味♪
そして、大好きな “ 姫皮の胡麻和え ” と “ 刺身 ”
たらっぽは、出来るだけ薄い衣で揚げると香りがより一層立って美味しい。
先週、ちょっといい店らしきところで、たらっぽの天ぷらをいただいたけど、
味も素っ気も無く、何の香りもしなかった。
すごく悲しい気持ちになり、今年は美味しい山菜食べられないと思っていたから嬉しさ倍増。
栽培されて売っているものと、いい意味で放ったらかしでも生きている山菜とは、
見た目は一緒でも全然違うことを実感。
小さい筍を丸ごとオーブン焼きにしたくて、切らしてたホイルを買いに行ったら
欲しかった山椒の鉢ものにも出会えて、春満喫(^ー^)
【お金に支配されている人達】
名古屋に来てもう直ぐ1年。2箇所の派遣先と習い事などで知り合った人達。
あっという間に結構な人数なんだけど、
このところ、私が何か試されているんじゃないかと思うくらい、似たような話を立て続けに聞いた。
多分それは偶然じゃなくて、金銭的に裕福じゃなかった時代からバブルを体験した世代、その子供達、
『親と友達みたいな関係なんです』っていうのを良しとするようにマスコミに踊らされた世代の話。
三人兄弟くらいが多く、誰か一人くらい未婚で親と暮らしてたりする。
順調(?)に就職し結婚している優等生から見れば、
結婚してなくて、親と一緒に住んでいてほとんど稼ぎの無い兄弟の老後が心配だとか(完全に余計なお世話)。
親がほとんど乗らないのに車を買い換えたのは収入のない兄弟のためだとか・・・。
親が老後のためにせっかく貯めたお金を無駄にさせたくないとか・・・。
私より年上になると、これに介護の問題が出てくる。
しかしどの話もよく聞くと違和感てんこ盛り。心配なのは親でも兄弟でもないく、
自分と親のお金。
要約するとどの人の話も同じで、
『私はこなんにちゃんとしてて、ダメな兄弟の心配も、親の心配もしてあげてるのに、
親はダメな兄弟の面倒見てるのが気に入らない。』と。
もっと短くすると、
『大嫌いなダメ兄弟が、親思いの私が貰うべき大事な親のお金を持っていくのがムカつく。』と。
結婚なんてしてもしなくてもいいし、それイコール幸、不幸の判断材料にはならない。
それだけでマトモだ、偉い、みたいなのは愚の骨頂。
論点は 『お金』。 『大事な』 は 『親』 にかかる言葉じゃなくて、『大事なお金』
多分、本人達は、兄弟を嫌っている自分にも、ダメなのは親でその親にもムカついていることにも、
気づいていない。もしくは気づいていても見ないふりしてる。
その親から欲しいものがあるから認めたくない。
一番問題なのは、『自分には関係のないことである』ってことに気がついていないこと。
それは親のお金で、全員親の子供。そして、親兄弟と言えども一個人であり他人。
自分の物差しでしか測れない上に、こうあるべきっていう特殊フィルター越しに見てるから、
真実、あるがままの姿が見えない。
指摘すると99%キレられる。
『家族といえども他人』『お金じゃないよね』なんて言おうもんなら、もう大変。
『家族は大事です!!』『お金は大切です!!』キーーーッ!!ってなる・・・。
当たり前だっつーの。って感じだけど、浅瀬で溺れてる人は気付かない。
家族もお金も大切だからこそ一人一人がきちんと自立してないといけない。
もし、本当に大切な家族が困ったらその時にしっかり助けられる自分でいたい。
本当に大切なことは何かがわからなくなって、
お金に支配されていると、無駄にイライラと人のことに目くじら立てて、人のこと(財布)が気になる。
『執着』という言葉しか見つけられない。
なにか、私の雰囲気がいけないのか、昔からこういう話をされることが多い。
しかしこの通り、歯に絹着せるつもりが全くないので、いつしか勝手に嫌われる(ー▽ー)
昔は、どう言ったらやんわり伝わるかなとか考えたけど、
どう言ってもわからない人はわからないから、思った通り言うことにした。
キレて炎上されること間違い無し、なんだけど、それで良し。
もう聞きたくない、関わりたくないから。バッサリ。
だいたいこういう話をしてくる人は、人の話なんか聞く気がないしね。
わかってくれる人は、自分がいかに浅瀬で溺れていたかにすぐ気づく。
それでいいと思えるようになったのは、ヨガのおかげと、
何にも縛られず、執着のない主人との出会いのおかげかもしれない。
粛々と淡々と、すべてを行動で見せるような義父のおかげかもしれない。
人は必ず死ぬ。どんな人でも最後は一人だし、無一文。
だからこそ愛を持って、思いやりを持って、与えられた命を大切に生きたい。
ソコ浅瀬だよ、って伝えても、勝手にジャバジャバ溺れていたい人はそうすればいいし、
そういうことに付き合っている時間は無い。
うーん・・・ダイビングしたいな。
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と、思っていたら土曜の夜に合格がわかり、
日曜の朝にはさらに嬉しいご褒美みたいに、筍とたらっぽ(たらの芽)が届いた。
筍の切り口には水分が飛ばない工夫がしてあり、たらっぽは通気性のある袋に丁寧に入ってた。
口数の少ない義父の、息子への愛情を思うと涙が出た。
これが本当の愛。お金じゃないんだよなー。ってしみじみ感じた。
少しの油揚げと一緒に炊いた筍ご飯。米はもちろん義父の田んぼのもの。
たらっぽの天ぷらは、揚げたてのつまみ食いが一番美味しい(^m^)
筍のオーブン焼。皮ごとホイルに包んで210度で1時間ほど焼いた。ホクホクシャキシャキ美味♪
そして、大好きな “ 姫皮の胡麻和え ” と “ 刺身 ”
たらっぽは、出来るだけ薄い衣で揚げると香りがより一層立って美味しい。
先週、ちょっといい店らしきところで、たらっぽの天ぷらをいただいたけど、
味も素っ気も無く、何の香りもしなかった。
すごく悲しい気持ちになり、今年は美味しい山菜食べられないと思っていたから嬉しさ倍増。
栽培されて売っているものと、いい意味で放ったらかしでも生きている山菜とは、
見た目は一緒でも全然違うことを実感。
小さい筍を丸ごとオーブン焼きにしたくて、切らしてたホイルを買いに行ったら
欲しかった山椒の鉢ものにも出会えて、春満喫(^ー^)
【お金に支配されている人達】
名古屋に来てもう直ぐ1年。2箇所の派遣先と習い事などで知り合った人達。
あっという間に結構な人数なんだけど、
このところ、私が何か試されているんじゃないかと思うくらい、似たような話を立て続けに聞いた。
多分それは偶然じゃなくて、金銭的に裕福じゃなかった時代からバブルを体験した世代、その子供達、
『親と友達みたいな関係なんです』っていうのを良しとするようにマスコミに踊らされた世代の話。
三人兄弟くらいが多く、誰か一人くらい未婚で親と暮らしてたりする。
順調(?)に就職し結婚している優等生から見れば、
結婚してなくて、親と一緒に住んでいてほとんど稼ぎの無い兄弟の老後が心配だとか(完全に余計なお世話)。
親がほとんど乗らないのに車を買い換えたのは収入のない兄弟のためだとか・・・。
親が老後のためにせっかく貯めたお金を無駄にさせたくないとか・・・。
私より年上になると、これに介護の問題が出てくる。
しかしどの話もよく聞くと違和感てんこ盛り。心配なのは親でも兄弟でもないく、
自分と親のお金。
要約するとどの人の話も同じで、
『私はこなんにちゃんとしてて、ダメな兄弟の心配も、親の心配もしてあげてるのに、
親はダメな兄弟の面倒見てるのが気に入らない。』と。
もっと短くすると、
『大嫌いなダメ兄弟が、親思いの私が貰うべき大事な親のお金を持っていくのがムカつく。』と。
結婚なんてしてもしなくてもいいし、それイコール幸、不幸の判断材料にはならない。
それだけでマトモだ、偉い、みたいなのは愚の骨頂。
論点は 『お金』。 『大事な』 は 『親』 にかかる言葉じゃなくて、『大事なお金』
多分、本人達は、兄弟を嫌っている自分にも、ダメなのは親でその親にもムカついていることにも、
気づいていない。もしくは気づいていても見ないふりしてる。
その親から欲しいものがあるから認めたくない。
一番問題なのは、『自分には関係のないことである』ってことに気がついていないこと。
それは親のお金で、全員親の子供。そして、親兄弟と言えども一個人であり他人。
自分の物差しでしか測れない上に、こうあるべきっていう特殊フィルター越しに見てるから、
真実、あるがままの姿が見えない。
指摘すると99%キレられる。
『家族といえども他人』『お金じゃないよね』なんて言おうもんなら、もう大変。
『家族は大事です!!』『お金は大切です!!』キーーーッ!!ってなる・・・。
当たり前だっつーの。って感じだけど、浅瀬で溺れてる人は気付かない。
家族もお金も大切だからこそ一人一人がきちんと自立してないといけない。
もし、本当に大切な家族が困ったらその時にしっかり助けられる自分でいたい。
本当に大切なことは何かがわからなくなって、
お金に支配されていると、無駄にイライラと人のことに目くじら立てて、人のこと(財布)が気になる。
『執着』という言葉しか見つけられない。
なにか、私の雰囲気がいけないのか、昔からこういう話をされることが多い。
しかしこの通り、歯に絹着せるつもりが全くないので、いつしか勝手に嫌われる(ー▽ー)
昔は、どう言ったらやんわり伝わるかなとか考えたけど、
どう言ってもわからない人はわからないから、思った通り言うことにした。
キレて炎上されること間違い無し、なんだけど、それで良し。
もう聞きたくない、関わりたくないから。バッサリ。
だいたいこういう話をしてくる人は、人の話なんか聞く気がないしね。
わかってくれる人は、自分がいかに浅瀬で溺れていたかにすぐ気づく。
それでいいと思えるようになったのは、ヨガのおかげと、
何にも縛られず、執着のない主人との出会いのおかげかもしれない。
粛々と淡々と、すべてを行動で見せるような義父のおかげかもしれない。
人は必ず死ぬ。どんな人でも最後は一人だし、無一文。
だからこそ愛を持って、思いやりを持って、与えられた命を大切に生きたい。
ソコ浅瀬だよ、って伝えても、勝手にジャバジャバ溺れていたい人はそうすればいいし、
そういうことに付き合っている時間は無い。
うーん・・・ダイビングしたいな。
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by ama7869
| 2016-04-18 15:30
| 美味しいもの